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わごいちの作り方①はじめに

 

私三宅が整体修行を始めたのは2001年4月、28歳の時でした。翌2002年1月に「心斎橋たんりき」を開業し、おなかを中心とした全身整体をはじめました。場所は今と同じ本町ですが、2回の移転を経て今のタケコウビルに落ち着きました。

はじめの数年間は”いわゆる”整体院でした(内臓を揉むという点では際立っていましたが)。スタッフも週に2日だけ働くパートさん達でした。みんな他院の院長やチーフばかりだったので、とても頼もしく頑張ってくれました。

しかしそれでも問題が生まれてきたのです。それは三宅自身の技術が上がっていくことでスタッフとの技術の乖離が広がっていったのです。さらに整体業界全体に目を向けた時には、中途半端なところで満足している世間の整体師たちに強く疑問を抱くようにもなりました。整体はもっとできる。もっと可能性がある。なのに。そのようなことを考えた時、10年、20年先を見据えた人材育成が必要だと思ったのです。そして色々考えて行き着いたのが「徒弟制」でした。

 

池田参尽こと池田真由美はその時にやってきた初めての弟子でした。お父さんが植木職人、本人も徒弟の名残りある美容業界出身という事で、きっと弟子として頑張れるだろうと思ったのです。

徒弟制の素晴らしいのは、師と弟の間に壁をつくらない(ように努力する)ことです。終業チャイムが鳴ったらそれぞれの生活にもどる・・・ではなく、24時間365日どこかでなんとなくでもつながっている。相手のことを自分のことのように感じる。そんな家族のようなつながりの中で学びを深めていくことができます。これは他の学びに対し大きなメリットがありますし、なにより人さまのハラを揉む上で絶対に必要不可欠な感覚なのです。

実際にわごいちの弟子たちが他の整体師たちとは雲泥ともいえる実力を養ってきたのは、言うまでもなくわごいちが徒弟制を取っているからに違いありません。昔のようなパートスタッフ制ではとてもとてもハラ揉みなど教えることができません。

 

一方で徒弟制のデメリットはみなさまよくお分かりのように反時代的であるということです。昭和の半ば頃ならば通った”常識”が今の時代には通らない。特に徒弟制という働き手の不自由さ(実際には決してそうではないのですが)はどうにも受け入れられないばかりか、反発さえされることもあります。「なんでそこまでして働かなくてはならないの?」という周囲からの疑問や批判を受け止め、時にはねのけていかなくてはならないのです。実際にそんな批判に負けて去っていった3人目の弟子もいました。

 

そのような経過を経て今のわごいちの徒弟制があります。池田が弟子の道を拓き、そこを通って井上が育ち共に歩き、これから井上が道を拓いていきます。師である三宅の責任が重大であることは言うまでもありませんが、ここまでのわごいち徒弟制を支えてくださったのは我々を信じ頼ってくださる皆様でありますし、どうぞこれからも不器用にでも反時代的にでも信じた道を歩んでいくわごいちを応援くださいますよう、お願い申し上げる次第です。

でもあと10年ほどしたら、「やっぱり本物つくりは徒弟制だよ」ってきっと日本社会も気付くはずです。その時には「なーんだ今頃に気が付いたの?」と皆様と一緒にドヤ顔をしたいと思っています。

 

いつもありがとうございます。感謝を込めて。

 

 

三宅弘晃

 

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