私の無月経記録の前に、私の無月経に至るまでの生理記録からはじめなければなりません。
私の生理にまつわる記録は、45年の人生のおよそ35年間を占めることになります。なんの自慢にもなりませんが、専門店が開けるくらい生理の症状のオンパレードでしたから。
できる限り手短に書いていきたいと思いますので、どうぞお付き合いください。この記録が生理に悩む皆さんの、生理に悩むご家族や恋人の、そして未来の子供たちの助けとなることを願います。
生理前半期①(10歳~14歳)
生理が始まったのは小学校4年生の時でした。幼少の頃から身長は低く痩せ気味でしたが、生まれて初めて背の順が真ん中くらいになった頃です。
一気に身長が伸び、体重も増え、そして生理が来ました。当時としては早熟な始まりでした。ちなみにこれから背が高くなるかも……という期待は無に帰しました。4年生での成長が、私の成長の最後となったからです。当時と今で、身長も体重もほぼ変わりません。
振り返って今考えると、非常に未熟な身体で生理が来てしまったのだと思います。母は食にはこだわりのある人で何でも手作りでしたが、素材にこだわるという感性はあまりなかったように思います。そしてとにかく量が多い!朝昼晩そして毎食後のデザートに時間外のおやつ、回数だけでも多いですが、一回の量も非常に多く、また種類も豊富でした。
何でも好き嫌いなく美味しくよく食べる子供で、周りからも痩せの大食いと言われていました。お野菜も多かったけれどお肉も乳製品も砂糖も異常なほど多かったと思います。つまり、栄養過多だったのでしょう。お肉や乳製品が多かったことが生理の始まりを早めたことは、わごいちに来た今、ようやくわかります。
始まった頃は、「生理痛」という概念がなく、ただいつもおなかが痛くなって、たまに先生におなかをさすってもらっていたことを思い出します。生理と腹痛が全くつながっていませんでした。もう生理になっていることが恥ずかしくて友達にも内緒にしていたので、考えたくなかったのかもしれません。
中学に入って生理痛という概念ができ、おなかの痛みと腰のだるさ、胸のハリはどんどんひどくなっていきました。この頃から痛み止めをたまに飲むようになっていました。バファリンをちゃんと母にもらって飲んでいたころです。
中学3年生のころには、ベッドでのたうちまわるほどの痛みがありました。バファリンは生理の2日目、必ず飲んでいたと思います。それでもできるだけ我慢していました。
生理前半期②(15歳~25歳)
高校生になってから、私の尋常でない生理記録が始まります。
痛みはさることながら、生理周期と生理量が問題でした。1回の生理は2週間続き、しかも2週間びっちり夜用ナプキンで対応しないといけないほどの量の多さ。さらには生理と生理の感覚は1週間。つまり1か月のうち生理がない日は1週間だけです。それで水泳部だったのですからもう大変でした(笑)
それだけではありません。当時は生理になると、必ず鼻血が出ていました。だいたい2日目くらいでしたが、夜お風呂に入って下を向いて頭を洗っていると、鼻からまさに鳥のレバーくらいの大きさの塊がボトッと落ちてくるのです。初めはびっくりしました。
びっくりして母を呼びましたが、母も私も生理に対して疎くなろうとしていたようにさえ今は思います。「生理だから仕方ないね」で済ませてしまいました。後に聞いたことなのですが、母は人生の中で一切生理痛がなかったそうです。
不要な血液が体内に溜まっていたのでしょうか。あの時期、子宮から鼻から、いったいどれだけの血液が出たのか、痛み止め以外に取るべき対策はあったはずだとも思います。水泳で身体を冷やしていたのも良くなかったかもしれません。色んな要素が積み重なって起こった結果としての症状が生理異常だった、そういうことなんだろうと思います。
高校生の頃からの身体異常は、生理の他にもう1つ、身体中の痛みがありました。肩こり背中の痛み、頭痛、腰痛、股関節周りの痛み。とにかく痛くて耐えられなくて、母に内緒でバファリンを飲むようになったのはこの頃からです。
あまりにも身体が痛くて自分で揉むと、体内の熱が発散されるのか38度以上の高熱が月に1度のペースで出ていました。もうそうなると生活自体が狂ってくるので、熱が出ていることも両親には内緒にしてバファリンを乱用して熱を無理やり下げ、どれだけしんどくても学校に行き、クラブ活動を続けていました。
学校もクラブ活動も本当に楽しくて、どうしても休みたくなかったのです。大事な身体を作る時期に、無理を何重にも重ねて押し通してしまってました。
生理の周期は高校を卒業するころには落ち着いていきましたが、生理の量と痛みは相変わらずでした。大学の頃は血液がもれてしまって、母に大学まで服を持ってきてもらったこともあります。
………試験の日でした。
生理中間期(26歳~33歳)
24歳から自営で母と喫茶店を始めることになり、それまでの生活と一変してから、生理の量は徐々に減っていきました。
そして26歳の時、生理が来ないな……と思っていたらいつの間にか半年たっていて、そのことを友達に伝えたら私が驚くほど心配して、婦人科リストまで作ってきてくれました。
私は本当に自分の身体に関心がなかったのだと思います。生理での苦労も、身体の痛みでの苦労も、熱が出ることも、とにかくその時をしのげればよかった。ですから生理がないことは全く苦労がなかったわけです。むしろそれまでの苦労とは打って変わっての楽さ。どこかで不安はありつつも、そしてどんどん痩せていく自分にちょっとおかしいなと思いつつも、本当に忙しい毎日に振り回されて考えるのを放棄していたのでしょう。
友達の気持ちが申し訳ないくらいで婦人科にかかってみることを決めましたが、その時母は渋りました。「結婚前の女の子が婦人科に行くなんて………」と。
初めにかかった婦人科で、「子宮が悪いわけじゃなく、脳下垂体がホルモンを出す命令を出せなくなった状態だから、体重が増えても薬を飲んでも、自力で生理が来るのは難しいでしょう」との診断をもらいました。
「なぜ命令が出せなくなったのですか?」と尋ねたら、「それは婦人科の問題ではない」とのことでした。暗に心療内科を勧められたような気持ちになってショックを受けたのを思い出します。
「薬で毎月生理を起こしていたら、もしかして身体が覚えて生理がくるようになるかもしれないから」ということもあり、また更年期障害の症状を抑える意味もあって、それから毎日生理が起こる1週間以外、ホルモン剤を飲む日が7年続きました。
途中で代わった病院では、「命を保つために身体が生理をなくしたんですよ」とお話しいただき、自分のこれまでの身体との向き合い方を少し反省しました。少しと書いたのは事実少しだったからです。
私はその時、驚きと自分の浅はかさを思ったはずでしたが、その後も無理に無理を通して働き続けました。結果、疲れて眠りたいのに寝ることが出来ない睡眠障害になり、金縛り体験をしょっちゅうするようにもなりました。ひどい過緊張状態だったのでしょう。
プレマリンとデュファストンというホルモン剤を7年間飲み続け、途中、排卵誘発剤も幾度となく試しました。私は耐性がなかったのかホルモン剤の影響が非常に強く出て、強い倦怠感とむくみ、手の震え、おなかの張り、足のふらつき、動悸、そして頑固な便秘と、生活するのが苦なほど様々な副作用症状に悩まされました。
それでも飲まなくてはいけないのだと思い込んでいたのです。それしか方法はないと思っていました。飲んだ上でなんとか症状を緩和しようと、民間治療も色々試し、高額なサプリメントやむくみ取りの機械、ヨガや岩盤浴、その他ストレッチ法や体操も試しました。
そうして藁をもつかむ思いでかかった東洋医学科の病院で、「身体に薬を回す力がないから薬を回せるようになる薬を入れましょう」と言われ、もうこれは本当に駄目だとある種諦め、ある種諦めきれず、自分でなんとかするしかない!とヨガや体操教室を必死で探しているときにわごいち院長 三宅弘晃が主宰する三宅式整体塾を見つけたのです。
三宅式整体塾は今の千照館の前身で、丹足を学ぶ塾でした。「内臓を元の位置に戻せば身体は自ずと治る」という塾長メッセージに衝撃を受け、これで助かる……と直感的に確信を持ちました。そのまますぐ1度整体も受けてみようと整体を予約したのが始まりです。
33歳の6月、初めて受けた整体の日に、ホルモン剤も痛み止めも一切やめました。とても不安だったけれど、大丈夫と言ってもらった院長先生の言葉と身体に受けた施術の感覚を信じて。
2週間に1回の整体と、月に2度の丹足の稽古をはじめて2か月後、奇跡が起こりました。
自力で生理が来てくれたのです。
生理後半期(33歳半~42歳)
ちなみに初めてわごいちの施術を受けてからの半年は、施術のたびに寝込む日々でした。長年の薬の影響と、そこへ慢性的な睡眠不足で腎臓が非常に弱った状態だったようです。
腎臓は老廃物の調整をしてくれる臓器ですので、腎臓の施術後は一旦滞っていた老廃物が身体中をめぐり、倦怠感や腎臓の痛み、眠気などがでます。それが私の場合は特にひどくって、家まで帰ることができずタクシーで帰ったことも何度もあります。
半年間、仕事をするので精一杯で外出もままならなかったし、食べられるものも非常に限られていました。体重は7キロほど落ち、両親には心配されながらも生理が来てくれたことを心から喜んでくれ、協力もしてくれました。
初めての施術から10か月が経ち、そんなどん底の時期も抜けてわごいちのスタッフとしてさぁこれから!というころ、まさかの1ヶ月丸々寝込むという難関がありましたが(笑)、その後も山あり谷あり低空飛行と言われながらも順調に体質改善を進め、地力をつけて今に至ります。
生理は周期もままならず、生理痛もひどくありましたが痛み止めを飲まずにやりすごせるくらい。どうして生理痛が起こるか理由が分かっているし、緩和するわごいちメソッドもあります。いざという時はわごいちの整体がありますから、不安になることもありません。
不安がないという状態がどれほど有り難いことかと噛み締めます。痛くとも辛くとも、たまに悲しくとも心をしっかり保てます。大丈夫、大丈夫と思えます。大丈夫と言ってもらったから、良い方向に向かっているという実感があったから。
皆さんにお伝えしたい心と身体の拠り所です。
現在(45歳)
3年ほど前から生理周期は28日前後で必ず毎月来てくれます。驚くほど生理痛はありません。こんな人生を送っていいのかと思うくらいに生理が来てくれる喜びを感じています。
同時に冷え性も随分マシになりましたし、小学校低学年以来の元気の良さで過ごしています。加齢という壁にはぶつかっていますが(笑)
生理痛は治ります。生理周期も無月経も。しかし本当に大事なことは、治った結果より治していく過程だと思います。
私は有り難くも無月経を克服し生理痛もなくなりました。本当に心から感謝しています。特におなかを揉む整体師としては、この上ないキャリアになります。
もちろん結果が大事ですが、それでもあえて言います。どうやって治していったか、本当に治っていってるのか、ちゃんと尻上がりに体質は良くなっていってるか。そこが伴わなければ、必ずまたいつかその尻拭いをしなくてはいけない時がきます。何倍にも強烈に。私がそうであったように。
生理の問題に関しては、やはり薬はお勧めできません。今飲んでいる人には、できる限り減らしていって欲しい、できれば飲まなくても大丈夫な身体になってほしい。
特にお子さんには極力痛み止めは飲んでほしくない。若い女性にはホルモン剤やピルも飲んでほしくない。1回飲むと、やめるには勇気がいります。もしかしたら1人では踏み切れない勇気かもしれません。
生理は私たち女性にとって大事な必要な身体の仕組みであり働きです。どうか生理痛も含め忌み嫌わず、できる限り正常で楽な働きになるように、無理を押し通さず、身体の声とおなかの声を聞く習慣を持っていただければと願います。
この記録記事が少しでもお役に立ちますように。
井上紙鳶
生理痛の症例記事になります。是非ご参考になさってください↓