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おなかは御中

いつごろからだろう。サインをする際に「御中」と書くようになったのは。

 

皆さんは「おなかという概念」を表す漢字をいくつかご存知でしょう。腹、肚、胎、腑など、他にもあるかもしれません。最近では「お腹が痛い」「腹がたつ」というように腹の出番が一番多いようです。

 

もちろんこれらの漢字にはそれぞれニュアンスの違いがあります。例えば「お腹」はどちらかと言えばおなかの表面部分、つまり皮下脂肪や腹筋のことを指すようです。「胎」は胎盤や受胎のように妊娠状態の時によく使われます。腑は五臓六腑つまり内臓を表します。

このように多様な言葉を持つということは、私たち日本人がおなかについて深い関心を持って生きてきたということの表れともいえるでしょう。

 

そんな中、私はいつしか「御中っておなかじゃない?」と思うようになってきました。ご存知の通り「御」は大事なものという意味。「中」は中心。つまり御中とは大事な中心という意味です。

そう思いだすと身体の捉え方がいっぺんに変わってきます。

 

龍田大社さんの境内
龍田大社さんの境内

人様のご紹介で龍田大社さんへ初めてお詣りし、上田安徳宮司様とお話したのは平成の最後の年でした。

私は上田宮司様におなかの話をし、そこから命の始まりの話になった時に、宮司様は驚くべきことを教えてくださいました。

 

「この世界のはじまりは古事記に書いてありますよ」

 

それ以上のことは語られなかったので、私は家に帰り、古事記について調べてみました。いえ調べるまでもなく、いの一番に出てきたのです。御中の神様が。

 

「ああ、そうか。やっぱりおなかは御中だったんだ。すべての始まりであり終わりでもあったんだ」

 

そう合点がいったこの時の感動、一生忘れることはないでしょう。

 

面白いのは古事記の中でも御中の神様のことは詳しく説明されていません。「何もないところから現れて世界を作りすぐに姿を消した」とそれだけです。ですから歴代の神道研究者たちもこの神様をどう解釈したものか、意見は定まらないようです。

 

しかし私はそこに解釈を与えることができると思いました。なぜならこの神様のありようとわたしの「おなか観」とが奇妙なほどに符合するからです。そして私はこのおなか観を形にして表現しようと決意しました。

 

それが上田安徳宮司様との出会い、『おなかの詩』の構想のはじまりでした。

 

はじめは絵本で表現を試みていました
はじめは絵本で表現を試みていました

しかしおなかの世界は一筋縄ではいきません。骨や筋肉ならば解剖学的にある程度説明がつきます。内臓ならばそれに生理学的説明を加えればいいでしょう。しかし「内臓=おなか」ではないのです。医学や科学を超えた範疇を語らねばなりません。

以来5年と少し、苦しくも愉しき日々が続きました。

 

命はどこからやってきたのか。命は何のために生き、何のために命をつなぐのか。命は死ぬとどこへ行くのか。この宇宙はいつか終わるのに、それでも命は何を求めて繋いでいくのか。

 

文献を漁るわけでもなく、誰かに教えを乞うわけでもなく、ただひたすら人様のおなかを揉みながら、おなかに問い続ける日々を過ごしてきたのです。

 

難しいのは頭と心が先走ること。早く形にしたいという焦り、人様に認められたいという虚栄心、そういうものがちょっとでも入り込むと、頭と心の声がおなかの声を曇らせかき消し折り曲げてしまうのです。

 

このように「おなかの声をまちがいなく聴く」というのは至難の業とも言えます。

ですから5年間で2回だけ上田宮司様に途中経過を見ていただきましたが、1回目は「ちがいますね」、2回目は「これでいいでしょう」と多くを語らずただそのように指摘いただき、あとは自分の中でも何百回、何千回も再考しながら、おなかの世界を追求してきました。

 

完成祝いに賜った龍のお酒
完成祝いに賜った龍のお酒

ようやくにして製本があがった『おなかの詩』を持ち上田宮司様を訪れたのは令和4年8月19日、実に初詣りから5年以上の月日が経っていました。

 

朝に連絡をしてお邪魔すると応接間に通していただきました。「最終的に詩集になりました」とお伝えすると少しびっくりされた様でしたが、献本した詩集に一礼されてその場で目を通してくださいました。

じっと読み入り、時にうなずき、「うん、これはいいね」とページをめくっていかれました。

そして最後に「朗読をつけるといいんじゃないでしょうか」「産婦人科の知り合いがいませんか。これからママになる人によい贈り物になると思う」「100冊ほど買えますか。うちに来られた方で心が弱っている方にプレゼントしたいから」

有難いお言葉を沢山いただきました。

 

「画竜点睛を欠く」ということわざがあります。私はこの詩集ができた時「これで間違いがない」という確信がありました。ただ本としては最後に龍神を祭る龍田大社さんにて「目」を入れていただくことで、世に出す資格を得たのでしょう。

そんな風に思うひと時でした。

 

このようないきさつで『おなかの詩』は世に出ることになりました。

 

この詩たちは紛れもなく私の創作ですが、私は表現者にすぎないと思います。くしくも上田宮司様に「ご指導のお陰で完成に至りました」とお礼を伝えると、宮司様も「私じゃない、龍田の神様のお導きです」とおっしゃいました。

 

 

私たちは「おなか」という言葉に馴染んで生きてきました。ですからおなかのことはわかっている気になっています。しかし「御中としてのおなか」にどれだけの人が関心を持ち日々を生きているでしょうか。

 

『おなかの詩』

 

ポケット詩集にしましたので、いつも持ち歩き、心が弱った時や人生に迷った時に読んでみてください。

 

三宅弘晃