院長挨拶

わごいちは整体院の看板をあげていますが、世間一般の整体院とはずいぶん違う施術、経営を行っています。しかしそんなわごいちが良いと日本各地から沢山の人が通われています。そして何年も、10年、20年と毎月通い続けられる人もまた少なくはありません。

 

わごいちはどういう整体院か。どうしてこのような整体院になったのか。私がこの世界に入ったきっかけから今に至るまで、簡単ではありますがご紹介します。

 

治らぬ苦しみにピリオドを。わごいちから皆様への約束
治らぬ苦しみにピリオドを。わごいちから皆様への約束

 

私が会社員だった時に祖母を亡くしました。祖母は長らくリウマチを患っていましたが、その毒が心臓と腎臓に回ったのが死因だと主治医に言われました。

 

私は「なにかおかしい」と思いました。何十年もリウマチの薬をただ飲み続けるだけの治療が本当に最適だったとは思えなかったのです。

 

そして「もう二度と、大事な家族を納得できないまま失うのは嫌だ」と思いました。医者に任せきりで批判しかできない自分を情けなく思ったのです。

 

「薬ではなく自分の手で困っている人を救える整体師になろう」

 

その時の決心が私の、わごいちの変わらぬ原点です。

 

医療にしかできないことがある。しかし整体にしかできないこともある。世間に信頼される整体をつくるのがわごいちの使命
医療にしかできないことがある。しかし整体にしかできないこともある。世間に信頼される整体をつくるのがわごいちの使命

 

ざっと世界中を見渡してみて、今の日本ほど質の高い医療が行きわたる国はほとんどありありません。

 

しかしそれでも医療でカバーできないすき間や盲点があるのも事実です。西洋医学や東洋医学を使っても治らない人たちはどこに行けば救われるのでしょうか。

 

そんな人たちがわごいちにやってきます。「わらにもすがる思い」でやってきたと言います。正直に言うならばそのプレッシャーは決して軽くありません。わごいちで治らなければその人は救われないのですからお互いに必死です。

 

 

はじめてみる症状、千差万別の体質を前にどうすればいいのかと途方にくれます。でもあきらめては何も変わらない。一つ一つ必死で向き合い原因を探り、解決法を考えてきました。一人一人を救ってきました。

 

数々の命をつないできた<わごいちハラ揉み術>
数々の命をつないできた<わごいちハラ揉み術>

 

わごいちの技術は100%オリジナル、ここにしかないものです。全て私三宅が考え出したものだからです。世の中にないものは自分で発明するしかありませんでした。

 

気がつけば今、わごいちには豊富な技術とノウハウが蓄積されています。軽度な肩こりや疲労から重度な難病まで、ほとんどの不調を解消する手段があります。どんなに難解症状でも、最後はおなかに任せればよいのです。おなかは命の中心。おなかを揉むと命が活性化し、自然治癒力が高まるのです。

 

命をつなぐ整体院。今そう宣言できるのはおなかを揉む技術があるから。そしてこれまでの必死の取り組みの経験があるから。

 

わごいちはこれからも独自の、そして本当の治りの道を究めていきます。

 

 

 

わごいち院長

三宅弘晃

 

理念と施術方針

 

<理念:和合一致>

「身体を良くする」という共通目的のもと、お客様と私たちが深い信頼関係を築き、一体となって取り組む場でありたい

 

 <施術方針:直さば治る>

私たちが病気を治すのではない。私たちは原因を直す。そうすれば命は自ずから治癒力を発揮し症状を治めます。

 


徒弟制度

わごいちは今どき珍しい徒弟制度で技術を磨いています。
整体仕事だけでなく掃除、洗濯、炊事と食事と一日のほとんどを師弟が共に過ごし働き、心技体すべての向上に挑んでいます。
今の時代の働き方には逆行するかもしれませんが、仕事を通して人間的成長を積み重ねていくもまたわごいちの大きな目的です。
(左)井上紙鳶 /(右)三宅弘晃
(左)井上紙鳶 /(右)三宅弘晃

プロフィール

三宅弘晃(みやけひろあき)

 

1972年滋賀県生まれ京都府育ち。1991年京都成章高校を卒業し、1年間の浪人生活を経て1992年大阪学国語大学(現大阪大学)に進学。1997年4月(株)コマツに入社。2001年3月退職、整体修行を始める。同年12月に整体院わごいちを開業。内臓から不調を解消する三宅独自の技術を求め広く全国から人が集まる。わごいちでは昔ながらの徒弟制度をとり入れ、家族のように本音で向き合い互いを大事にする職場つくりを実現している。他には整体道場「千照館」、整体学校「あかつき整体カレッジ」を主宰し「本当の整体」を伝えるため活動中。著書『おなかの詩』『最強の睡眠力』『整体院経営百科』他。

 

井上紙鳶(いのうえしえん)

 

1978年大阪府生まれ大阪府育ち。幼稚園から大学まで奈良県帝塚山学園に在籍、1999年帝塚山大学卒業。祖母が鍼灸師、叔父が医師、父親が鍼灸柔整師という治療家系に育つも、中学生のころから体調不良が続き薬に頼る生活を送る。7年間の無月経の間に様々な治療を試みるも悪化の一途をたどっていたが、2011年6月にわごいち院長三宅弘晃と出会い、その施術と三宅が主宰する「三宅式整体塾」での丹足法の実戦で無月経を克服。翌年6月に弟子入りし、体質改善をしながら技術を磨き、現在に至る。ハラ揉みわごいち副院長、整体道場「千照館」の師範代を務める。


沿革

2001年 大阪本町・心斎橋エリアに<心斎橋たんりき>開業

2002年 同じ本町内の樋口ビルに移転

2003年 HANAKOより初取材。以後各種メディアの取材殺到

2007年 屋号を<わごいち>に改める。『おなか美人ダイエット』(中経出版)刊行。徒弟制度導入

2011年 <三宅式整体塾>開講。

2012年 同じ本町内、現在のタケコウビルに移転

2017年 <三宅式整体塾><腹育道場千照館>と経て<一般社団法人丹足普及協会・千照館>を設立

2021年 『おなか白湯もみ健康法』(ワニ・プラス)、『整体院経営百科』(アートヴィレッジ)刊行

2022年 詩集『おなかの詩』刊行。<おなかの学校>設立

2023年 『最強の睡眠力』(青萌堂)刊行

2024年 <おなかの学校>を<おなか元氣倶楽部>に改定、あかつき整体カレッジ設立

 


<関連ブログ>

非医療機関としてのわごいちのあり方について

「整体院の法的地位と社会的役割について」