
わごいちと言えば徒弟制度、徒弟制度と言えばわごいち、というくらい?おなじみになったわごいちでの働き方、人材育成。しかし一般的には珍しいようです。なぜわごいちは令和の今になっても徒弟制度なのか、その理由といきさつを書いてみようと思います。
開業当初はパートスタッフを雇っていました。他の整体院やサロンで働いている上手な人に声を掛けて、週に1~2回働いてもらっていました。施術内容は手技が私、パートさんには技術研修を受けてもらって足圧という役割分担でした。その形で数年間うまくやってきたのです。
しかし私の中で徐々に疑問が生まれてきました。このままこの先もパートさんが入れ替わり立ち代わり働いて、何が残るのだろうと。パートというのは時間労働です。定められた時間、定めらえた仕事をやり遂げる、そういう仕事ですね。でもせっかくここで働いているのだから、しかも彼女たちもプロの整体師なんだから、技術の幅を広げたいんじゃないかと私は思ったんです。なにしろここにはゴッドハンドと言われる技術があるのですから。
そこで本人たちに「本格的に手技を習う気はないか」と聞いてみたのです。彼女たちは「ここはすごい。みんな当たり前のようにリピートとっていく」「こんな整体院は他にない」と普段言っているので私の提案に飛びついてくるかと思いきや、なんと「結構です」と断るのです。その時に理由を聞けばよかったのでしょうが、多分「簡単に片手間で覚えられる技術じゃない」と傍で見ていて思ったのかもしれません。だから誰も踏み込んでこなかった。これなかった。
私は考えました。いつまでもパートさんで回していても院全体の発展はない。かといって正社員も、根源的には給料のために働くという価値観からは逃れられない。もっと、こう、お金の為じゃなくて、生きがい、働きがいのために「人生を賭けて技術を究めたい」というスタッフでなければ、院も、スタッフ自身も本当の成長が得られないんじゃないか。そのように考えたのです。
そんな時、読んでいた西岡常一さんの『木に学べ』にヒントがありました。宮大工はお金のために民家を立てない。神仏をうやまう心で寺社仏閣を建てるのだと。幼い時から師匠であるおじいさんに技術と精神を叩きこまれ、偉大な宮大工になられたのです。おなかを通して命に向き合う整体であるならば、同じような取り組みをするのが本当だろうと考えたのです。かくして初めての弟子池田がやってきました。師匠35歳。弟子26歳。今どき珍しい徒弟制の始まり、その後の本当に書ききれないほどの泣き笑い、悪戦苦闘のわごいち師弟の人情ドラマの幕開けとなりました。(こんなに大変とは思ってなかった笑)
別に変ったことをしようと思ったわけではありません。ただ本当の院づくりを模索した先に徒弟制度があり、それが間違っていなかったことは今のわごいちが示しているのではと思います。(つづく)
三宅弘晃
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