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わごいちの作り方⑨過労と体調不良

前回の「取材」から次はいよいよ「出版」へ進むことになるのですが、その舞台裏では深刻な事態が進行していました。他でもない私自身の体調不良です。

 

お陰様で開業半年後からずっと満員御礼、新規予約半年待ちというようなバブル状態が続いていました。それは「はやくみてほしい」と懇願されるのを断り続ける辛い日々でもありました。私も若かったので時間の許す限り予約を詰め込みました。

 

連日9時から22時まで連続施術。23時までという事も少なくありませんでした。その間休憩なしで食事は30秒。定休日はなく盆と正月だけまとめて1週間休みました。毎日夕方になると疲れてくるので栄養ドリンクを飲みカツを入れました。やっと仕事が終わったらとりあえず寝るだけ。その頃はお酒もほぼ飲みませんでした。飲む元気も時間もなかったのです。とりあえず1分でも多く寝たい。そんな生活を数年続けました。さすがの私も体調が悪くなっていきました。

 

とにかく一日中、ずっと心臓が興奮してドックドックと鳴っているのが聞こえます。息は絶えずハアハアとしています。夜寝たいけれど興奮して寝付けない。だからマンガを読んで「もう仕事は終わったよ」と自分の脳に分からせやっと寝つく、そんな毎日。

 

唯一の休みのお盆と正月は親もとに帰省してひたすら寝ていました。ご飯を食べる以外ずっと寝ている。親にも随分心配をかけたと思います。このままいけば近いうちに倒れるな。下手したら死ぬな。と思うまで数年かかりました。もう身体が重くてだるくてどうしようも無くなっていました。

 

当時の私をそこまで駆り立てていたのは、嬉しさと使命感でした。駆け出しの整体師を頼ってもらえる嬉しさ。そして「助けてください」と頼ってくる人たちに応える使命感。当時は本気で日本中の困っている人を自分一人で救おうと思っていました。若かったですね。

 

しかしここまで身体がくたびれてくると肝心の施術もままなりません。感度は鈍るし、踏み込みも浅くなります。満足の行く仕事ができない上に、肝心の私が倒れてしまったら元も子もありません。やっとそういう考えがでてきて「休息をしっかり取ろう」と決意しました。

 

まずは定休日をつくりました。また一日の施術時間を徐々に減らし8時間までにしました。ちょうどメディアからの取材ブームが終わったのも良かったです。通院されている皆さんにご協力を仰ぎながら、量より質へと施術を変換していく機会になりました。(つづく)

 

三宅弘晃