ご縁をいただいて三宅が節目節目でお参りする奈良は三郷の龍田大社さん。詩集『おなかの詩』もこちらの上田宮司様にご助言を仰ぎ、最後はこの境内で書き上げました。
そのご縁で昨年よりお願いしている新春ご祈祷。今年は旧暦にあわせてこの時期に開催しました。昨年と同じくわごいちのお客様や友人方にも「良ければご一緒に」とご参加を呼びかけました。
今年はわごいちの休みの水曜日の開催だったので、来れる人も少ないだろうなと思いましたが、当日参加の方も含めて11名が集まられました。
よく見るとちょっと皆さん気の抜けたような顔をしている気がします。でもそれもそのはず、上田宮司さま直々のご祈祷、そしてそのあとの深く心にしみいるお話に圧倒された直後だからです。
「太鼓の迫力がすごかった」「お話をもっと聞きたかった」「こんなご祈祷は初めて」と皆さん口にされていました。
決まった祝詞ではなく、その時、その人たちと神様を繋ぐ言霊として魂を込められる、上田宮司様のご祈祷はいつも深くハラに響きます。
ご祈祷のあとは宮司様からお話を聴かせていただきます。
時間にすればほんの数分だと思いますが、その中にはたくさんの大切なメッセージが込められていて、どのメッセージを、あるいはどれだけのメッセージをどう受け取り解釈できるか、それが聴き手に試されているお話だと私はいつも思います。
この宮司様の生のお言葉を聞かせていだたくだけでも、この会は本当に特別だと思います。誰にでもお話されるわけではありませんので。
ご祈祷後は三郷駅前のたこ焼き屋で皆さんと少しほっこりし、リュックを背負って山に向かいます。龍田参り第2部のスタートです。
通称龍田山、龍田大社さんのはじまりのお山に初めて足を踏み入れました。
同行くださったのは、ずっとお世話になっている尼崎のちゃんこ屋「奄美富士」の島田ご夫妻と私の会社員時代からの友人。それと紙鳶と私の5名でした。
実は龍田古道というハイキングルート、ではなく由緒ある山道がいくつか整備されていており、その中に龍田大社さんの本宮跡などがあるというのです。
これは歩かないわけにはいきません。
「あ、空に龍の雲が!」「どこどこ?」「ほら、あの飛行機雲の下に」「ほんとだ、龍の顔が右下に向いてる」「龍田大社さんの方角じゃない?」
なんてことを言いながら、2月とは思えない晴れ間と心地よい龍田の風に吹かれて歩みを進めていきました。
普段山を登ってない私たちだったので、ゆっくりのんびりと1時間のコースを2時間以上かけて歩きました。
やっぱり自然の中は疲れも爽快。都会の疲れとは全然違いますね。
ご祈祷の後、宮司様が「今日は本当によい天気。今我々は龍のハラの中にいますね」と話しかけてくださったのですが、龍田のお山をめぐるのは龍のお体を歩かせてもらったのかもしれません。
そんな盛りだくさんの龍田参りも終了かと思っていたところにたまたま通りがかった「亀の瀬地すべり資料館」。
何気なく入ってみたところ、ダメ押しのような学びが待っていました。
古都奈良の人たちにとってこの龍田の地はどんな意味を持っていたか。龍田の地の自然が奈良や大阪にどんな影響を与えてきたか。
2000年以上前に建立されたという龍田大社さんが、この要衝でどんな役割を果たしてきたのか。
なぜ龍神でありながら水の神ではなく風の神なのか。
なぜ上田宮司様は「氣」をいつも大事に語られるのか。
地理的歴史的背景から読み解く龍田の神様の由来が、これまでの認識をまた一層深めてくれました。
今回のご祈祷の願意は「美氣流行」。上田宮司様より三宅に賜ったお言葉です。
ただ我が身が平安であればよいわけではない。家族や職場が平安であればよいわけでもない。わごいちに通う人たちだけが平安であればよいわけではない。
私たち一人一人が美しい氣を周りに配るように暮らしていくこと。もらうではなく与えること。配ること。その結果まわり回って与えられる。
わごいちはそういう場でありたいと、この木札を見る度、心に誓います。
最後に少し告白を。
私はずっと「気」あるいは「氣」という言葉を口にするのを控えてきました。「先生、手から気が出ていますね」とよく言われますが、否定も肯定もしてきませんでした。やすやすと使っていい言葉ではないと信じるからです。
しかしもうそろそろ、わごいちは「氣」を語らねばならないと思います。また本当の氣というものについてよく研究し、人に語る役割も担わねばなりません。
そのように上田宮司様にはずっと有言無言の叱咤を受けているのです。龍田からの氣の風を、わごいちを通して皆さんに流していく。またその逆も担う。そうしてわごいちなりの美氣流行を進めていきたいと思います。
そんな決意を込めた新春ご祈祷会。おかげさまで素晴らしい体験でした。神様、宮司様、そしてご参加された皆様、ありがとうございました。
三宅弘晃