皆さんこんにちは、紙鳶です。
2月4日立春の日、わごいちの台所で大人気のお茶を作られている桜野園の松本和也さんが、熊本県水俣市からはるばるわごいちにお越しくださいました。子供もあわせ総勢33名、熱気あふれるお茶の会となりました。
松本さんが英国ティーアカデミーで幻の金賞を取られた「あかね」。それと同じ茶葉を凍らせた生の状態のまま、自分の手で揉んで発酵の過程を楽しみながら松本さんのお話を聴く、そんな3時間でした。
紅茶も当然ながらはじめは緑色の葉っぱ。揉んで細胞を壊せばどんどん発酵が進んで色も香りも変わっていきます。3時間の間でも、また揉む手の違いでも、香りが全然違いました。紫外線量、乾燥の仕方、気温に湿度にもちろん茶葉の摘む大きさや育て方、肥料のあるなし、自然と人の手と人の知恵や工夫が一つのお茶の個性を作ること。
どこをゴールとするかそもそもゴールがあるのか。最高を作ったその直後に生まれる疑問との格闘。個性とは何か、嗜好とは何の上に成り立つのか、「私は美味しいと思う」の深み重みを思うお話でした。
この日の松本さん語録(紙鳶の個人的抜粋)
「『これは紅茶じゃない』って言うんですよ。『私が知ってる紅茶じゃない』って言えばいいのに(笑)」
「淹れた数だけ美味しく淹れられるんですよ。淹れたら何でこうなったって疑問を持って、それを観察してじゃあ次はこうだって淹れて。色も見るから蓋を開けておくのもいいんですよ」
「お湯にしても水にしてもさっと茶葉にくぐらすだけ、もう直ぐ飲むんです。茶葉を通った澄んだのを飲んで探しに行く。これがまた良いんですよ」
「水俣は経済が必要。だけど経済にも人柄がいるでしょって(笑)」
「やっていて『間違ってないぞ』感がハンパない」
松本さんのお茶の話は本当に多岐に渡る様々な視点からのお話で、これが専門家というものなんだと、そして疑問を持ち続けてきた今の時点での結果なんだと感服しました。専門的な話に詳しいのはもしかしたら当たり前なのかもしれませんが、専門的ないわゆる一般的な決まり事や風潮や歴史にさえも疑問を自身に投げかけられて、それを打破していく行動力で洞察力を高められているようにも感じました。この一点において、松本さんと院長先生は本当に似ている。余談ですが・・・院長先生に「(わごいちは)何も決まっていないことだけが決まっている」と叱られたことがあります。これは一貫した院長先生の在り方であり、私の弱点です。余談ですが・・・・・・(笑)
「それにしても松本さんってどんな質問にも完璧に答えはるなぁ」とは院長先生。たくさん質問が出ました。しかし不思議ですが「知識を得る時間」とは言えないような、人と人の対話、人と自然の一つの関わり方、私と社会の交り方、そんなものを垣間見たような時間を参加者皆で過ごしたように思います。それは水俣という背景のほんの一部を感じさせていただいたからかもしれません。
このお茶の会の始まりに、院長先生は子供たちに問いかけました。
「卵を産む鶏がどんなところに住んでるか知ってるかな?」
「じゃあ育ち方が違う卵って何が違うのかな?」
子供たちはそれぞれ答えます。
「美味しい!」「新鮮!」「値段!」・・・
「そんな卵を一生懸命作ってる人、その卵を君たちに一生懸命届けてくれる人たちの集まりが食の学校というところで、松本さんは本当のお茶を作っている人です」
今日この時間が子供たちのいつかの未来の糧となりますように。今回のお茶の会はそんな願いも込めています。“本当”に触れること、その機会を院長先生は作りたいと常々言います。「それが大人の責任だ」と。わごいちの掲げる「おなか元氣」に欠かせないのは「イキイキした生き方」だと、今回改めてしみじみ思ったりしました。
松本さんはご自身が育て手で摘んだ葉を捨てられないとおっしゃいました。愛着があるからと。私の語彙力がなくて残念ですが、ご自分の仕事を誇りを超越してどこまでも深く愛おしく思っていらっしゃる。湧き出る欲に正直。そのパワーが抽出されたようなお茶との出会いに感謝いたします。
井上紙鳶