おなかとの出会い
院長の三宅です。今日は少し昔のことを振り返りながら、おなかについて私の考えをまとめてみます。
私の中に「おなか」への関心が芽生えたのは、2000年のことです。近年ようやく「腸活」のような言葉が広まり始め「おなか」への関心が高まりつつありますが、当時は全くと言って良いほど誰も「おなか」に見向きもしませんでした。整体同業者におなかの整体をしていることを話すと、「変わったことをしているなあ」としばしば奇異な目で見られたことを今でもよく覚えています。
実際のところ私自身もはじめからおなかの整体に確信があったとは言えません。元来人と同じことをするのが嫌いな性分なので、「周りが筋肉や骨や経絡で勝負するなら、自分はおなかを究めよう」とそんな気持ちも大きかったのかもしれません。たまたま「おなか」という道が目の前に手つかずであったので、若い気持ちをたぎらせて突き進んできた、そういう運命の気まぐれと言う風に乗ってわたしはおなかの道へと入ってきました。
おなかを揉むということ
私はおなか以外に筋肉も骨もさわります。元々カイロプラクターになりたかったので、骨格矯正や筋バランス調整なども習いました。そんな私の整体が他と違う点は、他の整体が筋肉と骨を中心にみることに対し、私はおなかも骨も筋肉もリンパも血液も全部見ます。そしてその中心がおなかであるということです。
考えてみれば、私たちが母の子宮の中で命を始めたとき、まず初めに造られるのが腸を始めとしたおなかです。そこから骨格や脳が作られ、さらに肉が付けられていきます。私がつくったおなかの整体はこの生命の発生の順のままに身体を整えていく、つまりもう一度生命の発生にさかのぼって人生をやり直す、ちょっと大げさな表現になりますが、そういう整体を行おうとしてきたのです。おなかを揉む整体ってどういう事?と良く聞かれるのですが、こういう風に理解してもらうとイメージが伝わりやすいかと思います。
もちろん言葉で言うほど簡単ではありません。古来よりおなかを揉むことは禁忌、つまり避けるべき禁断の技とされるように、不用意におなかに手を入れるのは危険なことです。医学の世界には「良く効く薬は毒にもなる」という諺がありますが、おなかも同様です。うまく揉みほぐせば絶大な効果を得られますが、行き過ぎたり場所を間違うとかえって身体にダメージを与えてしまうという怖さがあります。ですから「おなかを揉む」と一言でいえば簡単ですが、この技の研究は薄氷の上を探り探り歩むような旅でもありました。ここまで事故ひとつなくこれたこと、もちろん最大限の注意を払ってきましたが、それだけではない運命のお守りに感謝するばかりです。
さまざまな症状とおなか
例えば下痢がおなかの不調であることは誰しも理解できると思います。しかし下痢体質を改善しようとするならば、腸を整えるだけでは不十分だという事は知られていません。実は下痢体質の人の胃が弱いことが多いのです。胃が弱くて食べ物が未消化のまま腸に送られるので、腸がそれらをうまく吸収できなくて下してしまうのでね。ですから下痢の改善には腸だけでなく胃も整える必要があります。そういう施術と食生活の改善を行ってようやく下痢体質が改善されます。
他にも例えば慢性の腰痛であれば、腰まわりの筋肉や骨盤などを整えても一時しのぎの効果に終わります。つまりまたぶりかえすのです。この慢性腰痛という体質を克服するには、腸や大腰筋や腎臓などの周辺関連器官の傷みを解消しなくてはならない。こういう事はわごいち以外ではほとんど知られていないので、街の整体院では一生懸命に腰を揉んでいます。
他にもここではとても挙げきれない症状とおなかの関わりがあり、それらは全くと言って良いほどわごいちの外では知られていません。おなかを中心に身体全体をみること、そして禁忌であるおなかを揉むための訓練を重ねること、これらができると身体の見え方と触れ方、そして症状の改善の仕方が一変します。
おなかを忘れた生活
このようにおなかを通して整体を見ると景色が一変するわけですが、私たちの日常生活もおなかというフィルターを通して見ると、全く見え方が変わります。どういうことかと言えば、今まで良かれと思ってやって来たことが実はあまり意味がなかったり、時に逆効果であったりしたことが分かってくるのです。
例えば「姿勢」はとても面白いテーマです。一般的に出回っている「正しい姿勢」の認識とは、「背筋をまっすぐの伸ばす」「胸を張る」「あごを引く」というようなものですが、これをそのまますると姿勢がおかしくなるだけではなく、腰痛や背中痛のリスクを高めます。正しい呼吸は腹式呼吸で「おなかに深く息を入れる」と教えられますが、これを真面目にやって来た人のおなかに触れてみるとたいてい胃下垂になっています。みな良かれと思ってやってきたことが仇になっているのです。なぜこんなことになるかと言えば、これらのメソッドにおなかへの考察と理解が欠如しているからです。
おなかが危ない
20年を超えておなかの整体と研究を続けてきて思うのは、「おなかのことが本当に知られていない」と言うことと、そして「年々私たちのおなかが弱ってきている」と言うことです。2019年の終わりから猛威を振るった新型コロナウイルスの混乱を見ても、そこに「おなか本来の強さ」があればどれだけ人々が救われただろうと思います。私の周囲はほとんどワクチンを接種していませんが、社会一般ほどの不安もなくこの日々を過ごしています。おなかの働きつまり免疫力がしっかりと働いていれば、そう簡単に細菌やウイルスに負けないことを体験的に知っているからです。わごいちのデータとして「がんの罹患率」と言うものがありますが、過去20年のがん患者発生率は年平均で1%以下、つまり「おなかをちゃんと整えて強くしておく」ことで、ほぼがんにはならないというデータがあるのです。これからも新型コロナウイルスのような新しい病気が現れてくるでしょうから、その度に不安に襲われることのないよう、おなかと向き合うことがますます大事になって来きているのです。
しかし現実はあまり楽観できる状況とは言い難いものがあります。私は20年以上人のおなかをもみ続けていますが、じわじわと確実に人々のおなかが変質していることを感じています。わかりやすく一言でいえば、粘りと弾力が失われ続けているように感じます。
一昔前のおなかは、手を入れるとズブズブと奥まで沈み込んでいきながら、底の方から私の手を包み込むように押し返す力を感じたものです。しかし最近のおなかはすぐに底まで手が届いてしまい、しかも底まで言っても何の抵抗もしてこない、そういう手応えの違いがあります。これはどういうことかと言えば、外部からの異物に対する対応力の低下と言うことです。本来のおなかには異物を柔軟に包み込むように無力化する、取り込む力があり(これが免疫力というものの実態だと思います)、例えばウイルスが体内に侵入しても簡単には支配されない、つまり発症させないで粘ることができるのです。しかし最近の私たちの身体はこの粘りがなく、包み込み無力化できない。だからウイルス感染から発症まであっというまに進んでしまうのではないか、そのようにおなかに触れていると感じるのです。もちろんこれは私の推測も多分に入っていますが、免疫の働きと血液循環のメカニズムから考えても一定の説明がつくものです。身体の防御機構は幾層にも張り巡らされていますが、それら全てが健全に働く為には、健全なおなかの働きが条件となるのは間違いありません。
おなかは大事な真ん中「御中」
これまで私が一貫して皆さんにお伝えしてきているのは「おなかは命の中心、つまり御中」であるということです。それにも関わらず「おなか」が医療分野でも整体の分野でも「御中」とされないのは、重要性が低いからではなく、単純におなかという存在が難解でつかみにくいからでしょう。
しかしその全てが見えなくとも、理解できなくとも、私たちはおなかに関心を持つべきだと思います。例え少しでもおなかことを理解できれば、その分だけ自分の身体の見え方が変わってきます。病気のときの対処法も変わってきます。今までの逆効果に気が付き、より合理的な方法を見出すことができるのです。むしろ医療が進歩しているはずなのに病気が一向に減らないどころか増えていくのも、科学が進歩してるのに私たちの社会が暮らしにくくなっているのも、おなかという中心を忘れて物事を考えてしまうからではないか、そのように私は思うのです。
ひょんなことから「おなか」に関心を持つようになった私の人生ですが、そこから学んだ多くの知識と知恵を、「わごいち」「おなかの学校」「書籍」などで皆さんにお伝えしていきたいと思います。そして一人でも多くの人に本当の意味でおなかに触れてもらいたいと思います。もちろん私自身もまだまだ研究は続きます。おなかの道にゴールは無いのですから。