※本記事の情報は2004年~2007年の頃の回顧録ですので現在と状況も変わっていると思います。予めご了承ください。
わごいちに初めてメディア取材が入ったのはたしか開業1年後ぐらいの時です。
とある女性を整体して最後のお会計の時に「実は・・・」と出された名刺にHANAKO編集長と。撮影やらインタビューを受けて翌々月に見開き2ページでドドンと紹介されました。
「HANAKOの見開き広告いうたら百万やで」と知り合いの経営者が言っていましたが、取材なのでタダ(笑)。発売日から予約の電話とメールが殺到しました。
その時知ったのですが、HANAKOは業界でも信用があるんですね。HANAKOのお眼鏡にかなうならと他の雑誌も次々に取材殺到。施術を受けてもいないのに「ゴッドハンド」と持ち上げる。その反響が反響を呼びまさにバブル到来。だから私はメディアが言うゴッドハンドはあまり信用しないです。
このような取材バブルは数年続きました(通称:第2次わごいちバブル期)。お陰で広告もやめれたし、知名度も信用もあがったし、開業したてのビギナー整体師としては大変にありがたいものでした。またメディアの影響力も思い知りました。
特にテレビは、放映直後から電話が止まらないんです。受話器置いた瞬間にコールがなる。電話鳴りっぱなしが1時間以上も続きました。
逆に雑誌は息が長い。皆さん手元に置いておくのか半年後とか数年後にも「HANAKO見ていつか行こうと」と予約が来る。
やっぱりHANAKOはすごかったです。ちゃんと覆面でリサーチしてからのせるので、読者からの信用があるんですね。雑誌によって反応はぜんぜん違いました。
メディア取材が数年続く中で私の中に変化が生まれてきました。はじめは広告がわりになる、信用がつくという営利的な恩恵がただただありがたかったのですが、次第に「おなかを大事することの大切さ」をもっとちゃんと伝えたいと思うようになりました。
特にテレビに顕著ですが、とにかく視聴者の気を引く番組を作りたいわけで、私たちはちょっと珍しい盛り上げネタのように扱われることもあったわけです。
だんだんそういうのは違うなと思うようになり「もっとちゃんと伝えませんか」と提案しだすと取材がピタッと来なくなりました(笑)
それで良かったと思います。取材バブルは次へ行くステップになりました。またメディア業界の裏側もさんざん見れて勉強になりました。当たり前ですがメディアも営利なんです。真実とか正義が一番ではない。若き三宅弘晃にもそういうことが段々と理解されていき、関心は「取材」から「出版」へと移っていくことになりました。(続く)
三宅弘晃
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